摂食障害と蘭 Eating Disorder Ran

[摂食障害×留学]Vol.3「留学に行くことになった経緯」

「摂食障害×留学」というテーマでがんがんさんに連載コラムを書いていただいてます。連載の一覧はこちら

Vol.3「留学に行くことになった経緯」

旦那:拒食から過食へ変わり、その状況から留学に行くことになった経緯やなぜ行こうと思ったのか、過食の症状の変遷含め教えてください。

がんがん:摂食障害になる原因としてよく言われているのは「母親と娘の関係性」です。やはり私のカウンセリングでも焦点はまずそこに当てられました。
自分でもかなり過保護に育てられてきたと自負していたので、まずは治療の一環として自分の親子関係について考え直すことを試みました。
しかし、そのことは母にとって自分が娘の摂食障害の犯人のようにされているように感じたようで、その時期は恐ろしく不機嫌な状態が続いていました。そして、当時はまだ拒食だったので、「食べろ」という猛烈なプレッシャー(キレる、イヤミ等)がすごく、それにも耐えている状態でした。

家庭内(主に母)での窮屈さ、食べることへの猛烈なプレッシャー、前回書いた春休み中の環境(お菓子やパンのある状態)に耐え続けていたら、ある日突然ふたがとれたように,半ば逆ギレのように過食が始まりました。

当時は治療が進んでいなかった(太ることを受容していなかった、摂食障害になった根本などが全く分からなかった)ので、回復期の過食ではなく、今思い返すと、完全に依存症としての過食症だったのだと思います。

 そんな最悪な最中、カウンセリング2,3ヵ月目のころに専攻決めが行われました。私の専攻がちょうど外国が関係していたという事。今の窮屈な現状から逃げたかった。とにかく先の目標が欲しかった。そんな理由で「留学すること自体」は周りが驚くほどすんなり決めてしましました。

 太ることを受け入れていないのにも関わらず、抑えようのない過食によって体重が急増(最低体重からMAX20kg)していってしまい、人目に触れたくない、また過食への自責感から、春休み明けあとも学校をサボる日々が続きました。
この頃は依存的な過食欲求が頭を支配していて、過食以外考えられない=過食だけが唯一の楽しみというこれまた最悪な状況が約半年は続きました。
そんな中で専攻の勉強も着々と始まっていき、正直本なんて読める状況ではなかったのですが、当時は過食の他に興味のあることなんて専攻のことくらいしかなかったので、過食続くなかでも、少しでも余裕のあるときは専攻関係の本を読むようにはしていました。(それでも、健全な場合に比べたら、相当ペースが遅かったので、勉強ってほどちゃんとやってはいませんでしたが)

 そんな中で、自分はメジャーな先進国(イギリスやアメリカ等)ではなく、後進国の方に興味があることに気が付き、欧米圏ではなく、アジア圏への留学を目指すことにしました。

とまぁ留学へのきっかけ、動機がはっきりしたのはこんな感じです。

(留学などに関するご質問・ご相談はコメント欄で受け付けていますので、お気軽にメッセージください。)

執筆者

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名前・・・がんがん

1995年生まれの女、留学中の大学生です。
大学1年でダイエットが引き金となり拒食になる。半年の拒食の後に過食に転じ、現在も過食と格闘しています。

欧米圏ではない留学、非嘔吐過食という摂食障害のマイノリティーに関する情報はネット上では少ないというフラストレーションから、「摂食障害×留学」という備忘録も兼ねた連載を書かせていただいています。

残り少ない留学生活ですが、節目節目で更新していこうと考えています。感想・ご質問もお待ちしています。また、私だけでなく他の方の「摂食障害×留学」もシェア出来たらと思っています。よろしくお願いします。詳細はこちら

最後に

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はじめまして。蘭と言います。1983年生まれ、現在は旦那さんと娘と息子の4人家族で神戸に住んでいます。その前までは、5年の過食嘔吐、嘔吐を辞めて完治するまで9年。全部で14年かけて摂食障害を克服しました。このサイトでは、皆の摂食障害体験を共有するアンケート、摂食障害経験者によるコラム、自由に書き込める摂食障害のための掲示板を管理しています。