摂食障害と蘭 Eating Disorder Ran

[書評・評論]「私は絶対許さない 15歳で集団レイプされた私が、風俗嬢になり、さらに看護師を目指した理由」雪村葉子 著

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書評

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雪村葉子
「私は絶対許さない 15歳で集団レイプされた私が、風俗嬢になり、さらに看護師を目指した理由」
ブックマン社

以前紹介した遠野なぎこさんのブログで紹介されているのを見て知りました。遠野なぎこさんの本と同じ出版社から出ていることもあるのでしょうが、知るきっかけをくれた彼女に感謝。私自身にはとても無関係とは思えないテーマだったのですぐに書店へ。
タイトルが内容をすでに物語っていますが、1980年に東北地方と思われる地域で生まれ育った著者がたどった数奇な運命のノンフィクションです。正直、冒頭のレイプシーンはじめ、その後の異性交遊や風俗嬢としての日々の描写が生々しく壮絶すぎて、私は読み通すことができませんでした。それでもこの本を今回取り上げたのは、精神科医の和田秀樹氏が書かれた解説にとても惹きつけられたからです。この解説に出会えて私は本当に救われました。

蘭ちゃんご夫婦の摂食障害アンケートでも書いたのですが、私が摂食障害になったのはダイエットがきっかけではありません。拒食の時期を経ず、いきなり過食が始まりました。当時はまだ摂食障害=拒食症のイメージが強かったし、過食症でも食べることと吐くことがセットになって説明されることが多かったので、吐かずにただただ貪り食う私は当初病名も曖昧だし原因も分からず、家族も困惑するばかりでした。結局、病院や医者はあまり頼りにならず、独学でどうやら幼少期の性虐待が関係あるらしいことに後々気づくのですが、今でも家族はよく分かっていないかもしれません。私自身が当時自分の身に起こったことを今でも打ち明けきれていないのです。20代半ばに初めて家族に当時のことを話した時(詳細は言えずあくまでざっくりとですが)、父は「そんなこと忘れろ!」と一言言い捨てただけだったし、母も「そんなこと(6歳くらいの女児に男性器を挿入すること)は無理に決まってるでしょ!」とヒステリックに叫んで現実と向き合おうとしませんでした。「そんなこと」という言葉が悲しかった。だからそれ以上家族と話し合いの場を持てなかったし、一緒に治療しようという形を未だに持てていません。ずっと無かったことにして心の奥底に埋めて生きていくつもりだったけれど、どうやら無かったことにする、というのは生きる上で無理があるようで。それで私は生き延びるために、過食という、きぴさんおっしゃるところの「杖」を見つけそれにすがっているのですね。

自分語りが長くなってしまいすみません。
この本の著者と同じように性暴力被害を受けた私は、自分の今の食べ吐きその他の症状を医者にもうまく説明できなかったし、関連性というかトラウマから症状につながる構造のようなものを簡潔に説明する術を持てていませんでした。ところがこの本の巻末に書かれている和田秀樹氏の解説が、まさにそこをかなり分かりやすく的確に述べられていたのです。多数の著書もある和田氏(著書は語り起こしが多いようですが、さすが頭脳明晰な方は説明もうまい!と思わず感心させられてしまいました)の解説から一部抜粋させてもらいます。

解説 和田秀樹「トラウマの本質」

精神科医として本書の解説を頼まれたのに、久しぶりにものすごく感情移入して、人の書いたものを読んだ。
私は1991年から1994年にアメリカのカンザス州という田舎の州に、精神分析を学びに留学した。

(中略)

彼女が「死んだ」1995年という年は、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった年である。まさに多くの人が実際に死に、また、今でも現在進行形で苦しむような形で、魂を殺された人が多くいる。それまでは、精神科医でも「トラウマ」や「PTSD」という言葉は使わなかったが、この年を境に、一般の人もこれらの言葉をよく知るようになった。
何という偶然なのだろうと思って、一方的に感情移入してしまったのだ。
ただ、言葉は一般的になったとて、日本で作られた映画や小説などで描かれるトラウマ(アメリカとは明らかに違う)は、ものすごく浅い理解のものばかりだ。たとえば、フラッシュバックや悪夢にうなされ、レイプをされたら男性を嫌悪し、暴力を体験すると人が怖くなる、という紋切型な表現ばかり。トラウマで多重人格になると聞けば、その上っ面を追いかける。
私が留学中は、アメリカの精神医学はまさにトラウマの時代だった。
ハイレベルの精神分析理論を学びにきたのに、パーソナリティ障害の長期治療の病棟でも、依存症の病棟でも、摂食障害の病棟でも、話題はトラウマのことばかりと言っていい状態だった。
病院内の広いキャンパスをベテランの医師と歩いていて、「この病院にトラウマのない患者さんなんて、いないよ」と言われた時のショックは忘れない。そして、摂食障害についての講義を聴いていたときに、ブリミア(過食嘔吐)という言葉を初めて耳にした(日本では当時、摂食障害というと拒食症のことだけを指していた)。
精神分析の立場からいうと、食べ物は、愛情を象徴するものだ。
拒食症とは、「愛情はもういらないから受け付けない」ということで、過保護な子育ての病理である。ところがブリミアというのは、葉子さんよりさらに悲惨とされる(トラウマをどちらが悲惨かと比較することは不毛な話であるが)性的虐待の被害者に多い。親の愛情に餓え、それ(その象徴である食べ物)を貪るように求めたら、それが汚いペニスであることを知り、吐こうとする。そういう病理なのだと。そしてその講師は、「これが、アメリカという国なんだよ。日本だとそんなことはなくて、拒食症の患者ばかりだろう」と嘆いた。
当時、アメリカでは数百万件の児童虐待が報告されていたが、日本は1000というオーダーだった。しかし、今は日本でも10万件近くの児童虐待が報告され、過去二十年間で七十倍にも増えているという。
葉子さんが、集団レイプ被害の後に過食嘔吐という症状を出したのは、私が二十年以上も前に聞いた理論が今でも通用するのだと痛感させられたものであるし、まさにリアルに伝わるものがあった。
さて、本題に戻ろう。私がこれまで勉強や経験をしてきた限り、トラウマの本質というのは、それを思い出すことで苦しむことではない。もちろん、そういう症状も出るが、それだけだとすれば、まだ程度が軽いレベルとさえ言える。
トラウマの本質は、そこで、その人にとって時間の連続性が断ち切れてしまうことだ。まさに魂が一度死ぬのだ。認知(ものの見方)も、意識状態も、そして人間全体や周囲の世界に対する信頼(なんとなく”信じていて大丈夫なのだ”という漠然とした感覚も含む)も断ち切られる。
その日から、自分の生きている世界が一変する。
人というものが基本的に信用できなくなり、過去が現在とつながって感じられなくなる。自分がこれまでとは全く別の世界に生きているように感じてしまう。生きていることが苦しくなり、一生涯にわたって引きこもるということさえある。
外から見ると、その人の性格が変わってしまったように見えるということも珍しくない。
トラウマ的な体験やその記憶があまりに耐えがたいものであると、さらに奇妙な現象が起こる。苦しい記憶を別の意識状態に押し込んでしまって、普段は、それと違う意識状態で生きる。「解離」という現象だ。しかし、時にその普段と違う意識状態が顔を出す。この普段と違う意識状態の時に、別のアイデンティティや人格状態になってしまうものが、いわゆる多重人格だ(現在は解離性同一性障害と呼ぶ)。
同じ人格状態だが、そのときの言動をまったく覚えていない解離性健忘、そして、葉子さんが体験した、傍観者のように今生きている世界を見てしまう離人感も、解離性同一性障害に含まれる。
児童虐待などでは、あまりに虐待の程度が酷いと、虐待者を逆に理想化してしまって、虐待者に阿(おもね)たり、むしろ仲良し関係を演じるサレンダー(降伏)という状態が生じることもある。また、昔から反復強迫といって、例えばレイプをされた人がレイプされそうな場所に再び出かけていくなど、自らトラウマを招くような行為をすることがある。最近の学説では、トラウマの際に、その苦しみを和らげるために脳内麻薬が出るのだが、その依存症状態になって、さらにトラウマを求めるのではないかという考えもある。
葉子さんの体験した、一見不可解な世界は、トラウマの精神医学の立場からいうと、むしろ腑に落ちるものばかりなのだ。
ついでに言うと、このような忌まわしいトラウマの後遺症は、周囲の反応次第で和らぐことになっている。レイプをされても、その親や配偶者、友達などが暖かくフォローをしてくれたのなら、その傷は多少は癒される(それでも傷は残るが)。
しかし、まるで被害者の方が悪いとでもいうような対応を受けると、再外傷体験(セカンドレイプ)を生む(だからレイプ裁判などでは、被告側の弁護士の弁論を受けることの苦痛について精神医学的な問題が論じられるのだ)。
葉子さんの場合は、温かい対応どころか、親には殴られ、罵られ、友達からは侮蔑の対象にされたのだから、その傷の広がりは計り知れない。だから、私はレイプという犯罪、あるいは集団暴行という犯罪(かつてそれをやったとしか思えない元暴走族のリーダーと称する人間がテレビに出ているが、それを見た被害者がどのくらい苦しむのかわかっているのだろうか)を心から憎む。
葉子さんは数奇な運命をたどった。その美貌や頭の良さのため、他の同様の被害者から見れば、より「まし」な生活を送っているのかもしれない。しかし、私の見る限り、その傷が癒えているわけでも、完治したわけでもない。それでもしっかり生きていこうという姿勢が健気であり、やっとこうした手記が書けるようになったこと(これも一般の人から見れば異常なことなのだろうが、今の時期にならないと書けなかったというのも心理学的には妥当な話である)がただただ嬉しいのである。
私がいちばん感情移入したのはその部分なのだ。

…ごめんなさい、一部抜粋するつもりが、ほぼ全てを掲載してしまいました。。それほどこの解説は、私にとっては無駄のないまさに的を得た内容なのです。でも出版元から怒られたらどうしよう(汗)

ここにつながっている方々へ。あなたがもし、今回取り上げたテーマ、性暴力被害にあったわけではないのなら、周りにそうと思われる人がいないのなら、この本は敢えてオススメしません。でもこの本の著者や私と同じようなトラウマを抱えた方なのだとしたら、本文を読むのはちょっと辛いだろうけれど、この解説を社会が理解して私たちの現状に寄り添ってくれることを願い、心の支えにして一緒に生きて行きましょう。

執筆者

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名前:むちむち
年齢:1979年生まれ
性別:女

16歳頃から過食が始まりました。ずっと吐かない過食でしたが、2011年の暮れ頃に吐くことを覚えてしまい、そこからは毎日過食嘔吐。ひどい時は一日4〜5回食べ吐きを繰り返していましたが、現在は一日一度に落ち着いています。
私はダイエットがきっかけではなく、幼少時に受けた性虐待などが原因だと今のところ診断されています。摂食障害の他にもPTSD、うつ病、解離性障害、身体表現性障害、衝動制御障害など…色んな診断名がつけられてきました。過食が始まった頃から精神的にも不安定になり、自殺未遂を繰り返した時期もありましたが、今は短時間ながら働けるところまで快復しました。
本の虫で、とにかく数だけは読んでいるので、主に摂食障害に関する本の感想などを書くことなんかで皆さんとつながっていきたいなと思っています。よろしくお願いします!詳しくはコチラ

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最後に

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はじめまして。蘭と言います。1983年生まれ、現在は旦那さんと娘と息子の4人家族で神戸に住んでいます。その前までは、5年の過食嘔吐、嘔吐を辞めて完治するまで9年。全部で14年かけて摂食障害を克服しました。このサイトでは、皆の摂食障害体験を共有するアンケート、摂食障害経験者によるコラム、自由に書き込める摂食障害のための掲示板を管理しています。