「摂食障害×世代間連鎖」というテーマできぴさんに連載コラムを書いていただいてます。連載の一覧はコチラ。
このままとは
わたしにはある時、生まれて初めて自分を肯定できた日があった。それは約1年ほど前のこと。わたしはこの日を「わかめルネサンス」とそう呼んでいるのだが、これはまた別の話で、わたしは本当に最近まで「自分はこのままではいけない」とずーっと感じていた。
今でもたまにそう感じて、頭がぐるぐるする日もある。動悸と吐き気で居ても立ってもいられない時もある。だけど、「わかめルネサンス」以降、前よりもわたしの立ち直りは早くなり、自力で踏ん張れる軸のようなものができてきたようだ。
もちろん、その自己肯定の感情はいきなり神の遣いの何かが舞い降りてきたわけでも、道に落ちていたわけでもない。それはパソコンを持っていてもまるで触ること もなく、出かけるのは図書館とスーパー、昼間はねぎパンをチューイングし、夜にひっそりと仕事に出かけ、友達はまるでいなかったわたしが、「囚われ」のひとつから脱したことだった。
わたしは「痩せている」ことにだけ囚われていたのではない。わたしは情けないくらい色々なことに囚われていた。いや、ホントは囚われに行った、のかもしれない。
その「囚われ」の中のひとつに「顔には高級化粧品をつけなければたちまちに老婆のように醜くなる」というものがあった。
ちょうど、仕事の出番が減ったことをきかっけに、向精神薬中毒だったわたしは「断薬」というものを始めてみた。自己流だったのでオススメは絶対にできないのだけれど。わたしは気まぐれで始めたつもりだったが、やはりこの時は本心から「このままではいけない」と思ったのかもしれない。そして、この時の断薬症状があまりにも酷く、かなりグロかったので、わたしは顔にクレドポーを付ける余裕がまるでなくなってしまった。だから、顔にはなぁんにもつけずに半年間を過ごした。
そうして、薬がやっと抜けたあとに鏡を見てみる と、そこには半年前と変わらない、なんだかよく知っている疲れた顔の30代が映っていた。全然老婆ではなかったのである。わたしは、唖然となった。本当にびっくりした。
これが、わたしの「囚われ」が1つ減り(断クレポ)、ついでに断薬も成功し、「わたしは何か大きな勘違いしているのかも!?」と気付きはじめた自己肯定のキッカケだった。
すげーバカみたいだし(今となっては!)、情けなくて小さ~い自分の話で申し訳ないです。でも、これがわたしなのです。
それにしても、断薬を始めた時に感じた「このままではいけない」というのがわたしの本心で、常日頃感じている「このままではいけない」は本心ではない、というのもまた本当におかしな話だ。
前者は、わたしが本当に心からそう思った「このままではいけない」で、それは一緒に居てくれる旦那に申し訳なかったからだ。後者の「このままではいけない」はわたしが誰かにそう思わされているだけなのかもしれない。
「このままではいけない」と思う(思わされる)ことによってあらゆるものが回っている。そしてわたしもそれに生かされているし、毎日あたりまえのようにおまんまを食べれている。摂食障害だけど。
「このままでいい」と言ってもらう場所は、残念ながらわたしにはあり得なかった「家族」というものの中には大いにあるのだろう。そして、今のわたしにはそれの代わりとして、むこうとこちらをつなぐ大きな大きな橋が、わたしの大切な母親なのだ(意味不明ですみません)。
執筆者
きぴ、女です。
摂食障害という「魔法の杖」をつきながら、18年が経ちました。10代から摂食障害になり、自己否定感と、劣等感と、それはそれは妙な自信とで生きていました。醜態恐怖症と薬物依存症もありましたが、日々、孤独に内省することで自ら克服しました。自己否定感と劣等感にも以前よりは苛まれなくなり、現在は随分生きやすくなりました。
どちらかというと孤独をすごく愛していますが、そう格好つけて言えるのは自分は孤独ではないからです。ここで、みなさんに出会えたのは摂食障害になったおかげだと思ってます。みなさんには本当に感謝しています。橋と地図と犬とひたすら何かを考えることが好きです。詳細はコチラ。
最後に
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